2月5日・日露戦争開戦前夜~「大津事件」と三権分立について~

 私は、大阪府高槻市で建設業許可及び産業廃棄物処理業☆産業廃棄物収集運搬業の許可申請の代行を18年間営んでまいりました行政書士浜田温平事務所所長の浜田温平です。 私は、高槻市を拠点として茨木市、島本町、枚方市、寝屋川市、池田市、守口市、箕面市、大阪市、摂津市、吹田市、豊中市など北摂を中心に活動している行政書士です。
 かなり古い話ですが、今から115年前の2月6日に日露戦争が勃発しました。 私は日露戦争の話をしたいのではなく、その15年前の「大津事件」について、少し書きたいと思ったのです。 この事件の概略を説明すると、当時、ロシアの皇太子であったニコライ(後のニコライ2世)が日本訪問で大津に立ち寄った時、滋賀県滋賀郡大津町(現大津市)で警備にあたっていた警察官・津田三蔵に突然斬りつけられ負傷した暗殺未遂事件のことです。
 ニコライの命に別状はなかったが、当時の日ロ関係からすると、あまりにロシアの力が強大で今にも武力報復されるか否かの状況であったといいます。 当時の日本政府は、天皇や皇族に危害与えたものに適用する「大逆罪」で死刑を求刑すべきと司法に圧力をかけましたが、当時の大審院院長(現在の最高裁判所長官)の児島惟謙は「法治国家として法は遵守されなければならない」とする立場から、「刑法に外国皇族に関する規定はない」として政府の圧力に反発し、一般人に対する謀殺未遂罪を適用して津田に無期懲役の判決が下しました。 このことで、後世における、日本式「三権分立」の骨格が形成されたように思っています。